(ほぼ備忘録)
初夏の陽気をとおりこして、夏の訪れのような暑さだった昨日、母の一周忌と父の三回忌を無事に済ませることができた。
早いものでもう一年が経ったのか・・・
まずはホッとした、という思い。
近しい親戚だけで済ませ、住職さんに来ていただき、その後お墓での法要という流れだった。
「少しばかりお話を・・・」
と住職さんが話された話にびっくりでした。
昨秋に妹さんを50代で亡くされたそう。その妹さんとの会話からひとつ紹介くださったのが「気づきの幸せ」。
病となり余命宣告をうけ、もう未来が無い、何もできなくなったと嘆くが、まだ余命宣告までは数年あるし、その先もまだまだ過ごせるかもしれない。
病や老いは、できることが少しずつ少なくなってくる。
今までは当たり前に動けたことが、体の動きがにぶくなりできなくなってくる。
寂しくもあり、悲しくもある。
「もうできない」ではなく、「まだできることはある」。
そう考えることで、小さなことでも、日々を過ごすなかでほんの小さなことでもできることはある。
今日は料理をつくることができた! 少し歩くことができた!
そうしてできることをしながら、その中にも小さな幸せをみつけることが幸せである、と。
欲する幸せばかり口にすることが多いし、それも大事だけれど、小さなことに気づく幸せは心を豊かにしてくれる。
桜がきれいだとか、清々しい景色だとか、なんでもいい小さなことに気づく幸せ。
コロナ禍で当たり前が当たり前でなくなったと知った。
いまを大切に、やりたいことは今やる、会いたい人には今会う、「いつか」と思わずにできることなら「今」。
今を大切に、小さな幸せに気づきながら、関わってくれる周りの人々に感謝をもって日々過ごしていきたい、改めてそう思った日でした。
「お父さん、お母さん、ありがとうございました✨」